なかなかゆっくり記事を書けず、手抜き記事ばかりで申し訳なく・・・。
今日の、ブレーメン戦の採点や評価についての記事も、本来なら、地元紙も引用してご紹介したいのですが、すみません、日本のサイトの記事のみのご紹介です。
そして、今日は、新聞掲載の記事も、合わせてご紹介しますね。
朝日新聞の記事は、どうぞ紙面にてご覧下さいね。
それにしても、kicker日本語版サイトの写真、素敵です・・・。
【採点・評価】
長谷部誠に高評価【第28節:日本人ブンデスリーガの結果、採点】:kicker日本語版サイト
(kicker日本語版サイトより)
【ブレーメン2−1フランクフルト】
長谷部誠:フル出場、kicker採点:2.5
(シュート数0、アシスト性のパス0、総走行距離10.59km、総タッチ数75、対人戦勝率75%、パス成功率95%)
(kicker日本語版サイトより抜粋)
日本人欧州組の「採点」をまとめて紹介!唯一の7点台を叩き出したのは?:サッカーダイジェストウェブ
試合は敗れたものの、チーム最高評価を得た長谷部。代表戦の疲れを感じさせないプレーを見せた。)
欧州主要リーグの個人採点を掲載しているウェブサイト『WhoScored.com』から、日本人選手のレーティングをまとめて紹介する。
なお、点数は新聞や放送メディアに比べて全体的に高めで、6.5点が及第点といったところだ(10点満点)。
唯一の7点台を叩き出したのが、フランクフルトの長谷部誠だ。ブレーメン戦に4-2-3-1のセントラルMFで先発すると、チーム2位タイの76のタッチ数を記録し、パス成功率も94パーセントと安定。試合は1-2で敗れたものの、チーム最高評価の7.28点を叩き出した。
(サッカーダイジェストウェブより抜粋)
【ブンデス日本人の現地評】誰も結果を残せなかった週末だが…長谷部、原口は及第点以上:サッカーダイジェストウェブ
現地メディアからは評価された長谷部だが、勢いに乗ったブレーメンへの対応に苦労させられた。フランクフルトは勝てば3位のドルトムントと勝点で並ぶところだったが……。)
ブンデスリーガ第28節は、日本人選手たちにとって厳しいイースターとなった。
チャンピオンズ・リーグ出場権争いを続ける4位のフランクフルトは、12位のブレーメンとのアウェーマッチで1-2の敗北、順位を6位に落とした。
フル出場した長谷部誠は、最初の失点目の場面でシュートブロックを試みたが、彼の右足に当たったボールはコースが変わってゴールネットを揺らししまい、失点に関与することとなった。
手痛い敗戦を喫したものの、『ビルト』紙は及第点の3点を付け、「DFラインの中央で非常に注意深く働き、94パーセントの高いパス成功率を記録した。ユヌゾビッチのシュートに対するブロックは残念ながら1失点目に繋がってしまい、運がなかった」と、その働きを評価している。
また『キッカー』誌の採点も、チーム最高タイとなる2.5点と高かった。
(サッカーダイジェストウェブより抜粋)
【記事】
「嫌われたら仕方ない、と割り切る」 長谷部誠の組織論:朝日新聞デジタル
(朝日新聞デジタルより)
(朝日新聞デジタルより)
(朝日新聞デジタルより)
(朝日新聞デジタルより)
(朝日新聞デジタルより)
(朝日新聞デジタルより)
サッカー日本代表の長谷部誠さんが、2010年から主将として出場した試合数は76に伸びた。2位以下を引き離し、前人未到の記録の更新を続ける。ドイツ1部リーグでは三つのクラブを渡り、主力の座を勝ち取ってきた。思いもしなかった海外生活を送るドイツの地で、組織を生き抜く資質や未知への挑戦への思いを、聞いた。
――チームの中で、主将とはどんな役割だと思いますか。
「どちらかというと、中間管理職に近いです。チームの本当のリーダー、進むべき道しるべとなるのは、監督です」
――その道しるべを邪魔しない…
(朝日新聞デジタル・有料会員限定記事、続きは紙面で・・・)
ルーツを訪ねて:サッカーW杯日本代表候補/1 光った技術、成長力 MF長谷部の恩師、服部康雄さん(61):毎日新聞
(毎日新聞より)
サッカーのワールドカップ(W杯)ロシア大会が6月14日に開幕する。6大会連続6度目の出場となる日本代表の中核として活躍が期待される選手たちは、いかにサッカーと向き合い、世界の舞台へ飛躍していったのか。原石としての輝き、ライバルとの苦闘、そして成長の軌跡を、少年時代の恩師に尋ねた。
「全然大した選手じゃなかった。今は立派になったけれど」。日本代表主将のMF長谷部誠(34)=アイントラハト・フランクフルト=を静岡・藤枝東高で指導した服部康雄さん(61)は、率直な思いを口にする。
入学当初は同学年の約20人中、4、5番手という評価だった。当時の長谷部はドリブルで強引に前へ攻めることを好み、「目立ちたがりで、勝ち気だった」と服部さん。労を惜しまず相手からボールを奪い、冷静に攻撃を組み立てる現在のイメージとは異なる。
ただ、ボールを止めて蹴る基本技術には光るものがあった。2年生の冬に試合に出始めるとJ1浦和のスカウトが注目しだした。服部さんがプロからの評価を長谷部に伝えたのは3年になる2001年春のことだ。藤枝東高は県内有数の進学校で長谷部も大学進学が念頭にあったが、「そこからモチベーションが変わったのかもしれない」。
同年8月、長谷部は県高校選抜の一員として、1学年下の選手が中心のU18(18歳以下)日本代表と対戦した。「両チームの中で長谷部が一番良かった」と見た服部さんは、U18日本代表を率いる田嶋幸三監督(現日本サッカー協会会長)に代表へ加えるよう訴えた。「年代別の代表に20~30人は送り込んできたが、そんなことをしたのは後にも先にも長谷部だけ」。結果的にメンバー入りはならなかったが、それだけ右肩上がりに成長した姿が強く印象に残っている。
長谷部は卒業後に浦和に入り、08年にドイツへ移籍。3チームを渡り歩き、今年2月にドイツ1部リーグ通算250試合出場を達成した。W杯ロシア大会に出場すれば、日本代表では初めて3大会連続で主将を務めることになる。「チームが変わっても監督が代わっても試合に出続けてきたことがすごい。このまま行けるところまで行ってほしい」。柔軟にスタイルを変えながら地位を確立してきた教え子の行く末を思いやる。
(毎日新聞)