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Channel: よっしーのひとりごと
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浦和での濃密な6年間。

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昨日、生憎の雨とはなりましたが。

 

浦和レッズ対ジュビロ磐田戦の試合前、予定通り、埼玉スタジアムの南広場特設ステージで、水沼猛さんと長谷部クンとのトークショーが行われました。

 

トークショ、大変盛況だったようですね。

 

水沼さんも、ご自身のブログ(水沼猛のオフサイドギリギリ)で、「長谷部誠の人気はさすが…警備体制がハンパなかった爆笑

 

と、驚かれていらっしゃいました(笑)。

 

 

トークショーでは、懐かしい浦和時代の話や、近況報告もしてくれた長谷部クン。

 

復帰の時期について、「ブンデスリーガの開幕が8月上旬なので、そこに向けて焦らずやっている」と、これまでと同じく、はっきりと語ってくれました。

 

笑顔の写真を見ても、本当にリハビリが順調なんだなと、改めて感じました。

 

今日に至るまで、手術・リハビリと、痛みや苦労に耐えてきた長谷部クンの頑張りと。

 

そして、これまでサポートして下さった、全てのメディカルスタッフ、フランクフルト・日本代表のチーム関係者、ご家族の方々に感謝します。

 

本当にありがとうございます!

 

 

では、トークショーの様子、記事や写真でご紹介します。

 

また、浦和レッズオフィシャルTwitterにアップされた、長谷部クンからのメッセージ動画と。

 

そして、トークショーで長谷部クンが、「ゾーンに入った瞬間」と語ったシーン。

 

長谷部クンのファンなら、もう何度もご覧になられたかもしれませんが、何度見ても痺れるそのゴールシーンが見られる動画も、一緒にご紹介しますね。

 

こちらは、埋め込みしませんので、リンク先でご覧下さいね。

 

 

【写真】

 

 

 

 

 

 

 

水沼猛のオフサイドギリギリより)

 

PHILE WEBより)

 

 

【動画】

 

 

長谷部誠 奇跡の勝ち越し弾! 04 磐田戦 埼スタ(全ゴール)

 

 

【記事】

 

「人生終わったと思った」のも「人生で一度だけゾーンに入った」のも…長谷部が浦和時代を回想:ゲキサカ

 

ゲキサカより)

 

 フランクフルトの日本代表MF長谷部誠が18日、J1浦和対田の試合前に埼玉スタジアムの南広場特設ステージでトークショーを行い、08年1月に海外移籍するまでの6シーズンを過ごした古巣のサポーターの前で浦和在籍時のエピソードや近況について語った。

 藤枝東高(静岡)から浦和に入団した02年はナビスコ杯(現ルヴァン杯)で途中出場1試合にとどまったが、2年目途中からレギュラーに定着。03年のナビスコ杯、06年のJ1リーグ、05、06年度の天皇杯、07年のACLとタイトル獲得に貢献した。

 浦和での6年間を「濃密で、右肩上がりどころか、垂直に自分が成長していった」と振り返る長谷部は「ターニングポイントはいつもジュビロ戦だった」と言う。プロ公式戦初先発となった03年3月8日のナビスコ杯・磐田戦は後半22分に2枚目の警告で退場処分。「初先発で初退場。若かったんでしょうね」。試合後には当時のオフト監督から「今日は長谷部のせいで負けた」と言われたことを明かし、「19歳で人生終わったと思った」と苦笑いを浮かべた。

 さらに「『ゾーン』というのがどういうのか分からないけど、自分のサッカー人生で『ゾーン』に入った瞬間があったとすれば、あのときだけ」と言うのもやはり磐田戦だった。プロ3年目の04年8月29日に埼玉スタジアムで行われた一戦。2-2で迎えた後半アディショナルタイム、センターサークル付近でパスを受けた長谷部はそのままドリブルで駆け上がり、相手選手3人を振り切ってPA内左へ進入すると、左足でゴールネットを揺らし、劇的な決勝点を奪った。「(ゴールまでの)道筋が見えた」。当時の記憶も鮮明な長谷部は「この長いサッカー人生で一度だけ」ゾーンに入ったときのことを語った。
(ゲキサカ)

 

 

【浦和】長谷部、レッズ時代の6年間を「右肩上がりというか垂直に成長した」:スポーツ報知

 

スポーツ報知より)

 

 ドイツ1部フランクフルトのMF長谷部誠(33)が18日、浦和―磐田戦(埼玉スタジアム)前に特設広場でトークショーを行った。浦和のクラブ設立25周年記念イベントのひとつで、雨天のなか約900人のファン、サポーターが集まった。

 2002年に藤枝東高校から浦和に入団し、2年目の途中からレギュラーとして活躍した。06年にリーグ初優勝、07年にはアジア・チャンピオンズリーグを初制覇。2008年1月、ドイツ1部のヴォルフスブルクに移籍した。浦和時代を振り返り、「あの頃は無我夢中でやっていました。今考えると、浦和での6年間は濃密な時間でした。右肩上がりというか、垂直に自分が成長していったんじゃないでしょうか」と話した。

 長谷部はヴォルフスブルクでも08年―09年の国内リーグ初優勝に貢献した。浦和がリーグ優勝から遠ざかっている理由について聞かれると「それは僕もずっと考えていました。自分は今(浦和)チームの中にいないので分からないですし、代表で浦和の選手と話したりしますが、本当に分からない。ただ一つ言えるのは、素晴らしいサポーターがいます。ドイツのサポーター以上に熱いです。サポーターの応援はもちろん、選手に『勝てよ』という緊張感を与えることも大事かなと思いますが、それはここにもある」とエールを送っていた。
(スポーツ報知)

 

 

長谷部「人生終わったと…」浦和時代の秘話明かす:日刊スポーツ

 

日刊スポーツより)

 

 最初の2年間は長く感じたという。1年目はナビスコ杯(現ルヴァン杯)に5分間出場しただけという苦しいシーズン。「入団したら福田(正博)さんや井原(正巳)さんとか、テレビでしか見てなかった人がいて、すごいところにきたという感覚しかなかった」と、懐かしそうに語った。

 

 長谷部が忘れない2年目シーズンの試合は、公式戦で初めて先発したナビスコ杯の磐田戦。長谷部はデビュー戦で退場処分を受け、チームも敗戦。試合後のロッカールームで当時のオフト監督に「今日は長谷部のせいで負けた」と厳しい言葉を浴びせられたという。「19歳で。人生終わったと思いましたね。今だから笑い話ですが」と苦笑いを浮かべて話した。

(日刊スポーツより一部抜粋)

 

 

復帰までの青写真描く長谷部「8月末の代表に選ばれるように」:ゲキサカ

 

ゲキサカより)

 

 長谷部不在の日本代表は今月13日のW杯アジア最終予選・イラク戦で1-1のドロー。8月31日のオーストラリア戦(埼玉)に勝てばW杯出場が決まるが、引き分け以下に終われば、9月5日のサウジアラビア戦(アウェー)に向けて逆に追い込まれる運命の大一番だ。

「8月末の代表に選ばれるようにやっていきたい」と、代表復帰を視野に入れる長谷部は浦和時代のホームでもある埼玉スタジアムで行われるオーストラリア戦に向け、「ここで勝って(W杯出場を)決めたい」と、あらためて決意を述べた。
(ゲキサカより一部抜粋)

 

 

長谷部「もうボールも蹴れる」豪戦出場へ復帰近し:日刊スポーツ

 

 3月に右ひざ軟骨損傷の手術をした影響で13日のW杯アジア最終予選イラク戦(テヘラン)は招集が見送られ、チームは1-1と引き分けに終わった。自身の状態については「もうスプリントもできるし、ボールも蹴れる。あとは最後の対人の動き」と、復帰が近いことを明かした。8月18日のブンデスリーガ開幕での復帰を目指しており、順調にいけば同月31日のオーストラリア戦(埼玉)も出場できる見通し。古巣である浦和のホームで行われる試合でもあり「背番号17のユニホームを着ているサポーターも多くて力になる。ここで勝って(W杯を)決めたい」と力強く語った。

(日刊スポーツより一部抜粋)


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