3月11日。
東日本大震災から4年の月日が流れました。
長谷部クン、日本時間の3月11日、日付が変わってすぐに、ブログを更新してくれましたね。
3月11日:長谷部誠オフィシャルブログ
東日本大震災から今日で4年。
まだ仮設住宅で生活をしなければならない方々も沢山いらっしゃいます。
故郷に戻れない方々もいらっしゃいます。
心に深い傷を負った方々もいらっしゃいます。
被災された方々の思いを理解する事など到底出来ません。
気持ちに寄り添うというようなわかったような言葉も到底言えません。
このブログを書いている事も果たして何の為なのか、、、、
書いているうちに自己嫌悪に落ち入りそうになります。
しかし、震災以降被災地の方々からお手紙をいただく事があります。
「私達も頑張るので長谷部選手も頑張って下さい」
「長谷部選手のサッカー頑張っている姿に勇気をもらいます」
そう言って下さる方が一人でもいる限り、自己満足でもいいから自分に出来る事をしようと思えます。
僕にとって、今日3月11日はそう強い決意を持たせてくれる日でもあります。
自らの、偽りのない、素直で、正直な気持ちを、飾らない、丁寧な言葉で綴ってくれる長谷部クン。
長谷部クンが、こうしてブログを更新してくれる事で、私は、いつもこの日の事を忘れずにいられます。
自分なりに、出来る事はないかと考え、行動する事が出来ます。
そして。
2日前にこのブログでもご紹介した、長谷部クンが昨年末にスマトラ島のバンダ・アチェを訪れた際の動画。
この動画を見て、新たに感じる事もありました。
動画の冒頭、このようなシーンがあります。
(UNICEFJapanNatCom動画より)
(UNICEFJapanNatCom動画より)
(UNICEFJapanNatCom動画より)
(UNICEFJapanNatCom動画より)
長谷部クンが、大津波によって、係留地から約2.6km内陸へと流され、現在、メモリアルパークとして保存されている発電船の上で、こう語っているシーンです。
「この船は向こうから流れてきたらしいです。これぐらいの距離にいたら、大丈夫って思っちゃうもんなぁ」
このシーンを見て、同じように、東日本大震災の津波で、気仙沼の港から750mも離れた市街地に流された、第18共徳丸の事を思い出しました。
(J-castニュースより)
第18共徳丸は、解体するか、或いは、震災の記憶を伝えるモニュメント「震災遺構」として保存するか、気仙沼の市民の中でも意見が分かれていたようですが。
アンケートを実施した結果、市民の約7割が保存は必要ないと回答したことから、2013年9月9日に解体作業が始まり、10月24日に作業を終えたそうです。
「震災遺構」として、第18共徳丸が保存されれば、恐らく、バンダ・アチェの発電船と同じように。
この地を訪れた多くの人々が、大津波の凄まじい威力、自然の脅威に、いかに人間が無力であるかという事。
そして、被災された方々の恐怖や心の痛みを、僅かながらでも感じ、防災への意識を高める事が出来たかもしれません。
でもそれは、この地に住んでいない私だから思う事であって。
実際にこの地に住んでいる方々の中には、この第18共徳丸は、その姿を見る度に、悲しく悲惨な大震災を思い起こさせるもの・・・と感じてしまう方も、きっと多いのだと思います。
そう考えれば、第18共徳丸解体は、残念ではありますが、止むを得ない事だと思えました。
今回、長谷部クンが昨年末にスマトラ島のバンダ・アチェを訪れた際の動画を見て。
また、長谷部クンのブログの文章を読んで。
「被災された方々の思いを理解する」とか、「気持ちに寄り添う」という事は、言うのは簡単だけれど、それを実行するのは難しい事であり。
被災地以外に住む人間が、被災地の事を思い、何かをしようとする際に、それが本当に被災地の方々の為になっているのか、実際にはわからない事も多いのだろうと。
復興は、目に見えて着実に進んでいるところと、目に見えず、4年前の3月11日に置き去りのままになっているところがあり。
その目に見えないところは、離れて暮らす私には、知る事、感じる事がなかなか出来ないのだろうと、そう思うと。
長谷部クンの言葉を借りるようですが、私もまた、自己嫌悪に陥りそうです。
ただ、前述しましたが、せめて、東日本大震災を忘れない事。
そして、自分なりに、出来る事はないかと考え、行動する事を心掛けようと、そう思っています。
出来ない事を嘆くよりも、出来る事を少しでも・・・という気持ちで。
震災後、着実に復興しているところを1つ、ご紹介しますね。
東京と仙台を結ぶ、常磐自動車道が、この3月1日に全線開通しました。
本来なら、2011年度中の開通予定だったものが、福島県の一部区間が、震災による福島第1原発の事故で工事が遅れ、ようやく今月全線開通し。
そして、同じ3月1日から供用開始となった、ならはパーキングエリアには。
ザッケローニ元日本代表監督や、長谷部クン、香川クン、本田クンらザックジャパンメンバーの、手形や足形のレリーフが設置されているそうです。
(ジャーナリスト・津田大介氏Twitterより)
ならはパーキングエリアと、Jヴィレッジ、一度訪れてみたいと思っています。
まだ見ぬ被災地の風景を想像しながら、被災者の方々の生活を思いながら。
一日でも早く、被災地が住みやすい場所となり、被災者の方々が笑顔で暮らせる日々が訪れますように・・・。
最後に、東日本大震災で犠牲になられた方々のご冥福を、心からお祈りしています。
【第18共徳丸関連記事】
第18共徳丸の解体作業終了と不明者の捜索(気仙沼市鹿折):ココロプレス
第18共徳丸の解体始まる 震災遺構を断念、スクラップに:The Huffington Post
気仙沼に今も残る巨大漁船どうする 「震災の記念碑化」に市民戸惑い:Jcastニュース
気仙沼 打ち上げられた大型漁船:撮影記録でたどる被災地の4年(NHK)
【ならはPA足形関連記事・動画】
ザック&代表選手が楢葉PAに足跡:日刊スポーツ
始動したばかりのザック・ジャパンが、早くも歴史に「足跡」を残す。日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督(57)やFW本田圭佑(24)ら選手全員が、5日の練習後に足型を取ったことが6日、分かった。各自が利き足を石こうにしたプレートが現在建設中で来年の年度末までに完成予定の常磐自動車道・楢葉パーキングエリア(PA)に飾られることになった。
常磐道の広野インターチェンジ(IC)と常磐富岡ICの間にあり、近くにサッカー施設のJヴィレッジがある。5日に代表の練習を訪れた、依頼主のNPO法人「ハッピーロードネット」の西本由美子理事長は「W杯日韓大会でアルゼンチンが合宿した場所を、さらにサッカーの街として発展させたい。企画を地元の高校生から募集して、足型の案が出た」と説明する。
約5年前から日本協会に働き掛け、ザッケローニ監督が就任したタイミングで実現。楢葉PAが完成した段階で、お披露目される。
[2010年10月7日12時5分 紙面から]
(日刊スポーツ)
<常磐道>全通秒読み PAに絵やレリーフ展示:河北新報
3月1日の常磐自動車道全線開通に合わせて開業する「ならはパーキングエリア(PA)」(福島県楢葉町)に、2009年夏に地元の中高生らが描いた古里の絵と、10年当時のサッカー日本代表選手の足形レリーフが展示され、21日に現地で除幕式があった。11年度の計画だったPA開業に合わせ制作されたが、福島第1原発事故で3年遅れのお披露目となった。
PAでの絵やレリーフの展示は、NPO法人ハッピーロードネット(福島県広野町)が06年から開いているフォーラムで高校生が提案。09年に相双地区の中学高校に制作を依頼し、10年に展示する18枚が決まった。
サッカー日本代表の足形は、代表が合宿で使用する「Jヴィレッジ」が楢葉町内にあることから企画された。10年10月に埼玉県で本田圭佑選手や香川真司選手(FCみやぎ出身)、今野泰幸選手(宮城・東北高出)、ザッケローニ監督ら計27人の足形や手形を取った。
絵は「相馬野馬追」など春夏秋冬の4枚がトイレの外壁に飾られ、14枚は入り口のディスプレーに表示される。足形のレリーフはサイン入りのブロンズ製で、御影石に埋め込まれ、広場に並べられている。
高校生のアイデアで、PAには緊急用のヘリポートも設置された。
21日の除幕式には、絵を描いた当時の中高生ら約50人が出席。南相馬市出身で、高校時代に企画を提案した会社員小堀裕紀さん(24)=いわき市=は「自分たちの夢が実現するとは思わなかった。絵の中には震災や原発事故で今は見られないものもある。絵を見て、地元に戻りたいと思ってもらえれば」と話した。
(河北新報)
“夢の壁画”お披露目へ 3月1日・利用開始の「ならはPA」:福島民友
ならはPAに手形、足形 本田選手、ザッケローニ元監督ら 震災で3年遅れ:福島民報
ご紹介する動画に、長谷部クンの足形も登場しますので、お時間がありましたらどうぞ。
常磐道全線開通へ 観光PRイベントやならはPAで壁画除幕式も(福島15/02/21):FNNLocal
常磐道全線開通を特別な思いで迎えた女性がいます。(福島15/03/05):FNNLocal
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東日本大震災から4年。
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