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Channel: よっしーのひとりごと
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長谷部クンが伝えてくれる事。

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この記事も、昨日お伝えした、長谷部クンが今、ある場所を訪れ、ある活動をしている・・・という事についてご紹介する記事となります。


もう、大手メデイアも報道をしていますので、長谷部クンが、今、どこで、何をしているのか、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが。


一応、この記事も、本文は少し間をおいて書きますので、もし、長谷部クンご本人からの報告を待ちたいという方は、スルーして下さい。

















では、ここから。


昨日の続報となりますが、具体的な長谷部クンの活動内容が、記事や写真で報告されています。


サッカー長谷部、スマトラ大津波被災地へ 生徒らと交流:朝日新聞DIGITAL


高校でプレゼントしたサッカーボールにサインをする長谷部さん


日本ユニセフ・スマトラ島訪問-1

(22日、インドネシア・バンダアチェ、葛谷晋吾撮影 朝日新聞DIGITALより)


犠牲者が埋葬されている共同墓地で花を供える長谷部さん


日本ユニセフ・スマトラ島訪問-2
(22日、インドネシア・バンダアチェ、葛谷晋吾撮影 朝日新聞DIGITALより)


高校生らと記念撮影をする長谷部さん(後列中央)

日本ユニセフ・スマトラ島訪問-3
(22日、インドネシア・バンダアチェ、葛谷晋吾撮影 朝日新聞DIGITALより)


 サッカー日本代表のMF長谷部誠さんが22日、2004年に起きたスマトラ沖大地震、インド洋津波で16万人以上の犠牲者を出したインドネシア・バンダアチェを訪れた。被災から10年を迎えるのを機に、子供たちの目線から復興を考えようと日本ユニセフ協会の要請で実現した。

 長谷部さんは犠牲となった4万8千人が埋葬されている共同墓地や、津波で内陸へ流された遺構として残されている発電船などを訪れた。

 生徒250人、教師25人を津波で失った高校では、被災当時に小学生だった生徒たちと対話。長谷部さんが、困難を克服するためには何が必要かと問いかけると、生徒らからは「心のケア」の重要性や、「避難する場所の整備が必要」などの意見が出た。

 長谷部さんは「皆が真剣に考えていると感じた。この経験を日本に持ち帰りたい」と話すと会場から拍手が起きた。23日には地元の小学校を訪れ、ミニサッカーなどで交流をする予定だ。

 長谷部さんは東日本大震災の被災地の宮城県南三陸町では幼稚園を建設し、支援活動を続けている。

(朝日新聞DIGITAL)



長谷部誠選手・スマトラ地震の被災地で高校生と懇談ーユニセフ:GLOBAL NEWS ASIA


長谷部誠選手は、震災当時小学生や就学前の年齢だった18人の高校生と懇談。


日本ユニセフ・スマトラ島訪問-4

(日本ユニセフ協会 GLOBAL NEWS ASIAより)


震災犠牲者約4万8000人が眠るランバロ(Lambaro)共同墓地に立つモニュメントに、花を献げた。(12月22日午後撮影)


日本ユニセフ・スマトラ島訪問-5

(日本ユニセフ協会 GLOBAL NEWS ASIAより)


民家の屋根に打ち上げられた漁船。

日本ユニセフ・スマトラ島訪問-6
(日本ユニセフ協会 GLOBAL NEWS ASIAより)


 2014年12月22日、冬期休暇前のリーグ最終戦を終えた・長谷部誠選手は、フランクフルトから2日間かけて、厚い雲に覆われ、時折小雨がまじる天候が続くインドネシア、スマトラ島の西端 バンダ・アチェに到着した。

 長谷部誠選手が最初に向かったのは、バンダ・アチェ市内各地に設置された共同墓地の一つ、震災犠牲者約4万8000人が眠るランバロ(Lambaro)共同墓地。当時、トラックで次々と運ばれてきたご遺体は、身元を確認する余裕もなく、この地に何層にも重ねられて埋葬されたという。長谷部選手は、埋葬された人々の名を刻んだ墓標も無い墓地に立つモニュメントに、花を献げた。

 この後、長谷部誠選手は、バンダ・アチェ第一高等学校で、震災当時小学生や就学前の年齢だった18人の高校生(男性7人、女性11人)と懇談した。生徒たちの中には、両親や親戚、友人を失った生徒も多く、「自分は今でも地震がくると居ても立ってもいられなくなる。特に子どもにとって、心のケアの支援はとても大切だと思う。」「災害から身を守るには、正しい知識が最も必要だと思う。当時、多くの人が、どうしたら良いのか分からなかった。でも今は、地震が来たら、津波が来たら何をすれば良いのかわかる。ハードも大切だけど、そうしたソフトがとても大切だ。」「私は大変なことを経験したけど、今はこうして高校で勉強することができている。一方で、インドネシアには、まだ学校にも通えない子どもたちがいる。将来は、そうした子どもたちのために何か役に立てる仕事をしたい。」生徒たちは、約1時間の対話の中で、あの未曾有の大災害がもたらした様々な困難をどう克服してきたのか、これからどう生きていきたいのか、長谷部誠選手に熱く語った。

 長谷部誠選手は、「自然災害は防ぐ事はできない。でも、僕たちはそれに備えることはできる。10年前にあの大災害を経験した若者が、こんなに真摯に、そして真剣に、防災や復興、そして地域や国の将来を考えていることを知って、そうした若者に出会う事ができて、本当に嬉しかった。こんな若者がいるインドネシアは、もしまた大きな災害が来ても絶対大丈夫だと、そう確信しました。今日ここで高校生から伺ったお話は、日本に帰って、一人でも多くの人たちに伝えたいと思います」と語った。

 次に、長谷部誠選手は、津波で係留地から2.6km流され、現在、メモリアルパークとして保存されている発電船や、震災後、日本などの支援で各所に建設された津波避難タワー、民家の屋根に打ち上げられた漁船などの震災遺構を訪れ、緊急活動支援にもあたっていたユニセフの現地スタッフから、当時の様子を聞いた。

(GLOBAL NEWS ASIA)



日本ユニセフ・スマトラ島訪問-9

Michael Klaus氏twitterより)

日本ユニセフ・スマトラ島訪問-7
Michael Klaus氏twitterより)


日本ユニセフ・スマトラ島訪問-8

Michael Klaus氏twitterより)


フランクフルトから2日をかけて、インドネシア・スマトラ島を訪れ。


まず最初に、震災犠牲者約4万8000人が眠る共同墓地に向かい、花を献げ。


その後訪れた高校では、被災当時に小学生や就学前だった18人の生徒たちと懇談。


生徒たちの中には、両親や親戚、友人を失った生徒も多かったそうです。


「困難を克服するためには何が必要か?」という長谷部クンの問いかけに。


「心のケアの重要性」や、「避難する場所の整備が必要」という声が上がったそうです。


この懇談を受けて長谷部クンは、こう語っています。


自然災害は防ぐ事はできない。

でも、僕たちはそれに備えることはできる。

10年前にあの大災害を経験した若者が、こんなに真摯に、そして真剣に、防災や復興、そして地域や国の将来を考えていることを知って、そうした若者に出会う事ができて、本当に嬉しかった。

こんな若者がいるインドネシアは、もしまた大きな災害が来ても絶対大丈夫だと、そう確信しました。

今日ここで高校生から伺ったお話は、日本に帰って、一人でも多くの人たちに伝えたいと思います。


長谷部クンは、続いて、震災後、日本などの支援で各所に建設された津波避難タワーや、民家の屋根に打ち上げられた漁船などの震災遺構を訪れ。


ユニセフの現地スタッフから、当時の様子を聞いたりしたそうです。


昨日も書きましたが。


長谷部クンが、その目で見て知り得た現実、その心で感じた素直な気持ちを、長谷部クンの言葉で語って。


私達ファン・サポーター、日本中の人々に伝えてくれる事を、心待ちにしています。


23日には、地元の小学校を訪れ、ミニサッカーなどで交流をする予定との事ですから。


その後、帰国して、代表合宿に合流するまで、ほとんど休みは取れず、疲れもきっと残ると思いますが。


長谷部クンの心には、何事にもかえられない、貴重な経験と、自らに課せられた使命が、強く刻まれたことでしょう。


長谷部クンが伝えてくれる事を、いかにきちんと受け止めて、それを、周りの人達に伝え、日々の生活の中で意識して暮らしていけるか。


何だか試されている気がして、身が引き締まる思いがしています。


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